
1942年岐阜県生まれ。子供の頃から体が弱く、小学校の修学旅行では乗り物
酔いで、めまい、吐き気のため一人旅館で寝ていた。社会人になっても、腰痛、
膝痛、頭痛、胃弱、三叉神経痛、痛風、腱鞘炎、水虫、巻爪、痔に悩まされ、
20歳の夏胃潰瘍、十二指腸潰瘍で倒れ、気付いたら病院のベッドの上ということや時々歩けなくなったりした。
そんなことで、病院での治療は断念せざるをえず、何処か治してくれ
る所はないかと探し回っていた。そんな時「骨盤矯正(骨盤調整)」「ゴムバンド
(バラコンバンド)健康法」の創始者・自然良能会の故五味雅吉先生に出会い、治療を重ねる毎に元気になり、いつからか五味先生の自然良能会で学び後に
支部長になった。
また当時、医師として日本で唯一骨盤調整(骨盤矯正)を教えていた、
兄の山田仁(ひとし)医師、弟の山田晶(あきら)医師の御指導も受けた。
そして、お二人が主宰されたペルビック協会の支部長にして頂いた。
更に私は会社勤めを続けながら、治療技術と並行して仏教を学びたいと各地の
寺を尋ねた。
幸運にも東京大学仏教青年会の西嶋和夫(わふ)老師の「坐禅と道元 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)研究会」や老師が各地で行われていた「赤心会」で御慈教を受けることができた。 老師は常々、「坐禅は、足を組み手を組み、骨盤を垂直に正し、背骨を伸ばし顎を引き、ただ何も考えずに坐っておればよい。
すると、脳幹の脆弱になった視床下部が安定強化され、自律神経が良くなる。」とおっしゃっていた。
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この二つの教えを受けたことで、
骨盤異常による『人体の左前出』が背骨から頭蓋骨にも及び、ヒトの中枢神経である脊髄や脳幹を悪化させていることが分かった。
よって骨盤に始まり頭蓋骨を含む、全身を調整することで、難病も根治できると考え、治療を研究し実践してきた。 |
院長 仰天エピソード
略 歴
1942年 |
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岐阜県安八郡神戸町生まれ。 |
1961年(18歳) |
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岐阜県立大垣工業高校卒 同年清水建設(株)入社 |
1977年(35歳) |
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骨盤調整・ゴムバンド(バラコンバンド)健康法、自然良能会の創始者 故 五味雅吉先生と出会い、治療に通いながら、自らも骨盤調整治療法の習得に励む。後にペルビック健康センターの山田仁医師、山田晶医師にも骨盤矯正(骨盤調整)・整体技術及び医学全般を学ぶ。
並行して、東京大学仏教青年会で坐禅を中心とした仏教を愚道 西嶋和夫(わふ)老師より御慈教を受く。 |
1991年(48歳) |
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清水建設(株)退社 骨盤調整・整体治療院「ペルビック健康センター」を開院。 |
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趣味 :社交ダンス、ランニング、施術
好きな食べ物 :寿司、カレーライス、焼きそば
好きなスポーツ選手 :ダルビッシュ、イチロー、まーくん、上村愛子
好きな芸能人 :渥美 清、高倉健
好きなプロ野球球団 :中日ドラゴンズ
好きな色 :ドラゴンズブルー
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